競技で高いパフォーマンスを発揮するには、集中力をいかにコントロールするかが重要になります。
多くのアスリートが「勝負を左右するタイミングで高い集中力を発揮できるようメンタルをコントロールしたい」と考えており、スポーツ心理学の分野においても広く論じられてきました。
今回は、アスリートのパフォーマンス向上という観点から、特に重要な知っておくべき「フロー理論」について分かりやすく解説してみようと思います。
著者紹介
パワーリフティング全日本選手権11連覇・現日本記録保持
NSCA-CSCS・NSCA-CPT/認定スポーツメンタルコーチ
阿久津貴史 (公式HP)
1982年生まれ。パワーリフティングの競技者として活動するとともに、パワーリフティング専門ジム「TXP」を運営。後進育成・コーチングも精力的に行っており、全日本優勝者を多数輩出。アスリートのパフォーマンス向上を目的とした、理想的なエルゴジェニックエイドの開発にも日々尽力している。
集中力が基本中の基本
集中力、メンタルどちらにもコントロールという言葉をあえて使っているのは、練習をすることで身体操作が上手になるのと同じように、集中力もメンタルも日頃の習慣、練習で上手にコントロールすることができるようになるからです。
余談ですが、よくメンタルが弱い強いと言った表現を聞きますが、スポーツにおいてメンタルとはコミュニケーション能力のことを指します。自己とのコミュニケーション、他者とのコミュニケーション、この質の高さがメンタルの良し悪しを決定します。
例えば試合中に良くない状況に陥った時にセルフコミュニケーション能力の高い訓練されたアスリートは、今自分に何が起きているのか?何をすればいいのか?といったことを咄嗟に判断できます。ヤバイ、負けてしまう、というような意識に引っ張られることはありません。
フローとは何ぞや?ゾーンとフローの違いとは?
「ゾーン」や「フロー」という言葉は、どちらも課題に集中している精神状態を表す表現として、アスリートだけでなくビジネスマンにも広く浸透してきているように感じます。 「ゾーンに入る」「フロー状態」といった言葉を耳にしたり、中には実際にそのような体験をした人もいるのではないでしょうか?
どちらも集中力が高い状態を指し、似たような使い方をされますが、かいつまんで言うと以下の通りになります。
フロー(Flow)とは?
「フロー」とは、目の前の課題に夢中になって取り組んでいる精神状態を指します。1970年代にアメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi)が"フロー"という言葉で理論を提唱し、広まりました。
英語でflowとは、流れや流動という意味を指します。フロー状態になると一つの流れに入ったような感覚となり、脳は課題に対する行動以外に意識を向けなくなります。
そのため、時間や自我の感覚も忘れて、物事に没頭している状態になります。時間を忘れて何かに没頭していたことがある人も多いのではないでしょうか?大規模な調査によると約15%程度の人がフロー体験があります。経験のない残り約15%の人も条件を整えることでフロー体験がしやすくなるかもしれません。
なお、フローは、以下の3要素が重なり合ったときに起こりやすくなります [1]。
1:課題の目標が明確であり、課題に取り組んでいる際に即座にフィードバックが得られること。
明確な目標や課題に取り組んでいる際に、それがうまくいっているのか駄目なのか、ただちに分かる環境が必要です。例えばスポーツであれば、パスが通った、ボールをキャッチできた、シュートが入った等、目標に対して成功なのか失敗なのか明確に即座に分かることを指します。
2:個人の能力水準(スキルレベル)と難易度(チャレンジレベル)が高いレベルで釣り合っていること。
能力に対して難易度が高すぎても課題を処理できませんし、難易度が低すぎると持て余してしまいます。この2つのバランスが丁度良い状況の場合にフローが起こりやすくなります。
3:できる限りの力を出すことできる環境であること。
課題に集中して取り組むことができる環境であればあるほど、フロー状態を体験しやすくなります。それぞれの具体例は文末でご紹介しておりますので是非ご覧ください。
ミハイ・チクセントミハイについて
フロー理論を提唱したミハイ・チクセントミハイは、ハンガリー外交官の父のもとに1934年、イタリア領フィウメ(現クロアチア リエカ)で生まれました。
彼の少年時代は第2次世界大戦の戦禍にあり、社会の混乱や亡命の経験から、幸せについて深く考えるようになります。
彼が10代のころにスイスの分析心理学者として有名なユングの公演を聞き、それをきっかけに心理学を志すようになります。その後渡米し、シカゴ大学で博士号を取得。人がいつどんなときに幸せを感じるのか研究を進めていきました。
その中で、芸術家や音楽家、科学者やスポーツ選手など、クリエイティブな活動をする人々へのインタビューを行った結果、人は課題に100%集中している時もっともクリエイティブかつ生産的になり、幸福感を感じることを発見しました。この時の精神状態をフローと名づけました。
ゾーンとは?
ゾーンについて先駆的研究を行なっているマイケル・マーフィーとレア・A・ホワイトの二人は、ゾーンを自らの動作が超人的に見えてくる心理的スペースと捉えています。
チクセントミハイはゾーンとフローは本質的に同義としていますが、ゾーン体験者にはオーラが見えた、テレパシーを感じたというような心霊的側面が体験要素に含まれることもあり、ゾーンとフローには違った側面もあるといえます。
ゾーン体験をしたアスリートにインタビューすると、「ボールが止まって見えた」「思いついたプレーが全てうまくいった」「ゴールを決めるまでの道筋が完璧に見えた」といったような、感性的体験談を聞くことができます。
そういった意味でゾーンを目指すアスリートは日頃から感性を磨く習慣作りが必要なのかもしれません。
例えばそういった第一歩として身体感覚に集中するためスマホでSNSを見ながらストレッチをするというような注意力、集中力が散漫になるようなことするべきではないでしょう。
大舞台や咄嗟の時というのは習慣、癖が必ず出ます。もしゾーンの境地を体験したいなら日頃から高い意識レベルで活動することが必要でしょう。
また、ゾーン体験者の多くが語る「動きが自動的に、無意識的に行われた」といった無意識化での動きの体験は、ゾーンに入ったからたまたま無意識で動けたのではなく、長年継続的に数え切れないほどの反復練習を積み重ねてきた結果、特定の動きに関する神経が発達したことで無意識化でもできるようになったと考えられます。
感性的体験はフローとゾーンの違いの一つです。フロー状態に入るには、前述したように持っているスキルと挑戦する難易度のバランスが条件の一つですが、ゾーン体験者の中には大怪我を負って危機的状態で試合をしている際にそこにはいない肉親の声が聞こえたというような体験者もいます。こういった致命的な怪我を負っているような場合、持っているスキルとチャレンジのバランスが良かったと言えるかは謎な部分です。 フロー状態の先に究極的にゾーンがあると言っていいのかもしれません。
しかしながら、ゾーンに入ることは非常に稀です。
過去の研究[2]において、72名の現役および元トップアスリートに対し、ゾーンに入った経験回数のアンケート調査を実施したところ、経験なしが全体の約8%、1~2回が約33%、3回以上が約58%という結果になりました。 アスリート人生の中で、ゾーンに入るのは数回となり、それだけゾーンは偶発性が高く、それを意識してコントロールすることは難しいということになります。
ゾーンは「無我の境地」と言われたりもしますが、ゾーンに入ろうとして心が囚われてしまうと、逆にゾーンから遠ざかってしまいます。 ゾーンにできるだけ頻繁に入りたいと思うかもしれませんが、ゾーンに入ろうと固執するよりは、日々フロー状態を作り出せるように練習していくことが重要といえるでしょう。その先にゾーン体験が訪れるかもしれません。
効率よくフローに入るには?
注意と集中が基本
何かしらの精神作用を得るための基本の能力は注意力と集中力です。注意を向ける、それだけに集中し続ける、こういった能力を高めることができるように日々訓練することが鍵となっていくでしょう。
フローに入りやすくなる要件は前述の3要素がバランスよく重なった場合になりますが、これを自分個人の環境に具体化すると良いでしょう。 ここから、前述の3要素を具体化する方法を具体的に説明します。
1:課題の目標が明確であり、課題に取り組んでいる際に即座にフィードバックが得られること。
この要素を成立させるには、目標をシンプルかつ明確化させる必要があります。「試合に勝つ」という大まかな目標ではなく、例えばサッカーなら「○○へのパスを●分以内に繋げる」といったように、制限時間や具体的な行動を設定すると良いでしょう。数値目標・パフォーマンス目標等を明確にすることが必要です。
もちろん、それがうまくいったのか否かが即座に分かる(フィードバックがある)ような目標にするべきです。 シンプルかつ明確な目標であれば、脳は目標の達成以外にメモリを割かなくて済むため、よりフローの状態に持っていきやすくなります。
また感覚的な目標、探求に取り組むことはフローの先のゾーンに入る可能性を高めるために必要なことかもしれません。
例えば、足裏の重心は踵の内側1/4くらいがいい、というような単純なことではなく、その重心をどのような硬さでイメージしてみるか?どんな色で感じてみたらしっくりくるか?といったことにも取り組んでみるといいでしょう。
感覚的な課題に取り組んでいる際、そのフィードバックは即座に得られます。こういった感覚練習の時に時間や周りのことを忘れて没頭していた、なんて経験はアスリートの方は多いのではないでしょうか?それはまさにフロー状態です。
2:個人の能力水準(スキルレベル)と難易度(チャレンジレベル)が高いレベルで釣り合っていること。
上記の目標設定をしたときに、自分の感情の動きを注意して観察します。スキルに対して難易度が高いと不安を感じます。一方で、自分のスキルに対して難易度が低いとチャレンジ感を感じず、退屈に感じるかもしれません。
例を上げるなら最近ベンチプレスで100kgを挙げた人が、次のセッションで120kgに挑戦しようなんてことをすると、そもそも挙がらない可能性の方が高く、不安と緊張が高まるだけです。
しかし102.5kgだったら挙がるかもしれません。個人のスキルより少し高いチャレンジを実施すする、こういった状況では高い集中力が発揮されフローに入る可能性が高くなります。
日々の生活、仕事、練習、あらゆる場面でチャレンジする習慣を取り入れることで一日24時間の中でフロー状態で過ごす時間が長くなるでしょう。やがてその習慣は試合時のゾーン体験にあなたを導いてくれるかもしれません。
3:できる限りの力を出すことできる環境であること。
集中を乱す環境があれば、そういった環境から脱するか、それが出来ない場合は自分でそういった環境をつくるための工夫が必要です。
明確な目標もあり、フィードバックも得られる状況、そしてチャンレンジするスキルを持ち合わせている、にも関わらず3つ目の条件、環境が悪ければ集中して課題に取り組めませんよね。
あくまで一例ですが、例えばチームメイトと不仲な状態が続いているなか一緒に練習するような時、その人の存在が気になって課題に集中して取り組めないかもしれません。このような状況の時にフローに入ることは難しいでしょう。良い練習をするために環境を整えることはとても大切です。
意図的にフロー状態を作り出すことがすぐにできなくても心配する必要はありません。まず日々、生活を振り返り、フロー状態だった時間があったかを把握することからスタートしてみるといいでしょう。
できることならフロー状態だったと気づいた時に、その際に自分にとってどんな条件が揃っていたのか明確にメモをしておきましょう。もちろん日々の練習、試合の際にもしっかり振り返りましょう。この振り返りの蓄積によって、フロー状態に持っていくための自分なりの条件が見つかってくるはずです。
そこまできたらあとは日々の練習、試合の度にウォームアップ、またはウォームアップ前からどのように組み立てていけばいいかがわかるでしょう。
正にこういった作業が自己コミュニケーション能力であり、メンタルが強いと一般的に表現される選手がしていることの一部になります。
最後に
余談ですが、テレビコーマーシャルで宝くじが当たったことを想像している吉岡里帆さんに妻夫木聡さんが「ゾーンに入ったな。」と表現しているシーンを見かけたことがある方も多いかと思います。この状態は「ゾーン」と「妄想」どちらでしょうか(笑)。
参考文献:
[1]Nakamura J, Csikszentmihalyi M: The concept of flow. In Snyder, C. R., & Lopez, S. J. (Ed.). Oxford handbook of positive psychology. O
[2]山本邦子、佐藤善信 アスリートのゾーン体験
[3]フロー体験入門 楽しみと創造の心理学 ミハイ・チクセントミハイ著
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